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ピンクリボンと私

ピンクリボンと私

高木富美子 (認定NPO法人乳房健康研究会常務理事、事務長)

今年15周年を迎えた乳房健康研究会に設立準備段階から事務局スタッフとして従事しております。

大学卒業後、広告会社に勤めて化粧品や健康関連の商品開発やメディア企画、イベントなどを長年担当して来ました。30歳代半ばにようやく結婚して、出産して、育児休業から職場に戻って1年ほどたったころに、上司から持ちかけられたのが乳がん検診を啓発する運動をやってみないかという誘い、いえ、業務命令でした。

正直なところ当時は『患者よ、がんと闘うな』という本がベストセラーになった後で、私は同じ著者による本を何冊か読み、乳がん治療をする医師はみな「乳切り魔」だと思っていました。また自分が得意なのは「美」と「健康」なのに、なぜ「癌」というヘビーな「病気」に取り組まなければいけないのか気持ちの整理がつきません。でも社内には他にやる人がいないからしょうがないか、という程度の認識からスタートしました。

しかし、この会を立ち上げようとしている先生方と打ち合わせを重ねるうちに、真実は違う!ということに目覚めるのです。すなわち、早期であれば治る可能性が非常に高いのに、早期発見ができていない。それ故に医師として救える命が救えない、医師の使命が果たせないことへの焦燥がひしひしと伝わって来たのです。それならば、自分が「美」と「健康」の分野で培った手練手管を使い倒して、乳がんに取り組もうではないか、と思い至りました。それからのことは拙著『ピンクリボン咲いた!』に記しましたので、お読みいただければ幸いです。(当会のネットショップからお買い求めいただくと定価の20%をピンクリボンアドバイザーの活動資金に還元いたします。)

それから15年余。保育所に通っていた子どもは高校を卒業しようとしています。ピンクリボン運動は日本女性の9割が知っている運動になりました。乳がん検診受診率も当初の数%から40%を超えるようになりました。検診受診率はもっと上げなければいけませんし、1年に10万人の女性が乳がんになる時代を目前に患者さんのためのサポートも充実させていかなければなりません。ピンクリボンが乳がん医療で果たす役割はますます重大です。

ところであるとき、ベテランの診療放射線技師の女性から次のようにいわれました。「私が技師になったころは、私が乳がんの患者さんを撮影しようとすると『今日は看護婦さんが撮るの?』と不安そうに言われたものよ。それがね、このごろは『マンモグラフィの撮影は女性の技師さんですよね』って、確認されるようになったのよ。わかる?」と。女性の診療放射線技師がプロフェッショナルとして認められるようになった。これはピンクリボンのおかげだというのです。

これを機に私は「ピンクリボン」には乳がんにとどまらない何かを生み出す力があるように感じるようになりました。ピンクリボンアドバイザーのみなさんと一緒に見いだし、共有していきたいと願っています。

(2015年12月)