野末 悦子(認定NPO法人乳房健康研究会 副理事長)
友人の死にショックを受ける高校時代の友人でNHKラジオの中学高校生向けの英会話の番組(青山学院大学文学部長森下捨巳教授担当)でアシスタントとしてご一緒だった親友が42歳の若さで小学5年の一人娘と夫を残して亡くなられ、友人代表で弔辞を朗読した辛い経験が私に強烈なショックを与えた。当時(1974年頃)は、子宮がんの検診は始められていたが、乳がんの制度検診はなかった。日本ではまだ乳がんの患者が今ほど多くはなかたし、死亡率もそれほど高くはなかったからではあったが、早期発見して早期治療を受ければ助かる率が高い事はその当時でも変わりはなかった。
その時弔辞で、このような悲しいことが起こらないように、乳がんの早期発見・早期治療のために力を尽くすことを私のライフワークにしますと誓った。当時私の職場は川崎医療生協の久地診療所で、産婦人科医として働いていたので、女性と接することが多かったし、各地で熱心に行われていた組合員さんの班会でも検診を受けることの大切なことと自己チェックの方法などについて語り続けてきた。当時アメリカの対がん協会で出されていた乳がん検診についてのキャンペーン用のパネルをコピーして使用してよいというお許しを頂いて、診療所の壁に大きく張り出したり、班会でも資料を活用させて頂いた。
自分自身でも乳房にしこりを発見、乳がんの手術を受ける
患者さんや組合員さんに乳がん検診について語り続けているうちに、なんと本人が自身の乳房にしこりを発見したのであった。当時就寝前の入浴のほかに朝はシャワーを浴びるのを日課にしていたが、ボデイローションを付けてつるつると右手で左の乳房を丹念に触診していたところ、「あれ、これは?」いつもと違う触感だった。マーブルチョコレートのような大きさと固さ。外科医である夫に相談したところ、アメリカで行われているマンモグラフィーの新しいレントゲンの機械が神奈川県予防医学協会にれ入ったところだからと、検査の予約を取ってくれた。画像診断では、乳がんが考えられるとのことで、その後のスケジュールも滞りなくたてられ、1978年8月4日、無事手術が行われた。
術後に主治医と約束をした
親友の死の時に霊前に誓ったことを、再び主治医と誓う。手術を担当して下さった一年先輩のドクターから「あなたは婦人科医で、女性と接することが多いのだから、乳がんで亡くなる人をなくすことをあなたのライフワークにしなさい。」といわれ、奇しくも親友の霊前に誓ったことを再び先輩(その後彼自身は膵臓癌で他界)と約束をすることになった。高校時代の親友と手術をして下さった先輩の二人との約束があり、二人に助けられた私にとって、ピンクリボンの運動は天命と思われてならない。
(2015年5月)